2013年4月5日金曜日

北欧レポート

TUNA SCHOOL




021200335 酒井 菜月

             

<学校についてのお話>

 お話を聞いたのは6~9年生担当のプロフェッサーが多く住む地域で、プロフェッサーの子供が多いため、成績が優秀である。

 スウェーデンの学校では、教科ごとの教室があり、国語の授業は詩を読み上げて暗記。

 6~9学年(12~16歳)で12クラス、325人の生徒

 National curriculumとgovernment curriculumがあり、学校が教育方針を決めることができる程度が日本より大きい。

 学習に対する意識が高く、他の学校より学費が少ない。

 小学校就学前の児童が通う保育園(pre-school)があり、文部省による教育を中心とした教育機関で、学費が必要。

 学習障害を持つ生徒(書けない、読めない)が通うトレーニングクラスがある。

「子どもは全員、同じ学校へ通う権利がある」という考えのもと設置された。

 ICT on TUNA SCHOOL

 Full-time ict teacherと呼ばれる、専門の常勤講師がいる。

 デジタル技術が重視されるというヨーロッパ全体の傾向

 約500台のmacbookと約50台のiPadが生徒に貸出されている。生徒が実際にコンピュータを使うことを重視している。

 生涯学習に注目している。

 近年、語学ではフランス語とスペイン語の人気が高いが、90年の歴史を持つ言語学校があり、parents meetingにおいて専門家を目指す生徒は、専門学校を希望することも多い。

 手芸の授業は週に80分あり、日本の倍である。

スウェーデンの教師は2つほどの教科を受け持っており、お話を聞いた先生は、手芸と数学の先生だった。

 料理の授業は5年生では週に80分、8・9年生では週に100分。

 ベッドメイクなど、独立のためのいろいろな技術を学ぶ、clean houseと呼ばれる授業がある。



職業教育・職業訓練における日本とスウェーデンの比較

Anders Nilsson

021200734 教育学部 吉田翔子



◎ なぜ日本とスウェーデンに差ができるのか

 1953年~1973年にかけての時代背景が重要である。

 日本・スウェーデンともに高度経済成長の時期であり、社会基盤や消費者、産業領域の点成長の仕方がよく似ている。

 技術的にアメリカに追いつくために、高い技術を持った労働者を必要としていた。



◎ どこに差があるのか?

 1950年代には、教育の点でもアメリカがモデルになった。

 日本:『高等教育モデル』

 スウェーデン:義務教育を7年から9年に延長

 ⇒どちらの国もより強力な教育基盤を作ることができた。

スウェーデン:1970年代初め、職業訓練、現場技術などの教育を学校で行うようになった。

 日本:スウェーデンに比べ、職業教育を学校であまり行わない。



◎ VETシステムの概要

  VETシステムは、労働市場の需要にとても適している。

  日本:二重労働市場

     ⇒主要な目的…長い間雇用されることと結びついたin-firm訓練。

  スウェーデン:

     ⇒1950年代初期の雇用期間がばらついたシステムから、1970年代初期のVETシステムに基づいた学校への移行

⇔しかし、パートタイムにおけるVETコースと、安定した雇用は1960年代後半までなかなか見られなかった。



◎ 労働市場の結果

  VETコースを地方の需要に適応させた。

  労働市場の需要に適応させた。

  効果減少への危険性が生じた。



◎ 1960年代後半の変化

  効果減少の可能性がある。

  コストに関する問題点がある。

  若い人々のVETシステムへの需要が減少する。

  1971年の改革を通して

  ITプログラムを「新しい高等学校」の中の理論的プログラムと結びつけた。

  欠点

  労働市場との接触が大きく減少した。





























































041200101

経済学部 石川奈波



中国と日本における高等職業教育の比較

‐外国語運用能力養成に着目‐





中国と日本、それぞれの国状を基にした

「職業教育による外国語運用能力養成制度の基準」がある。



1. 誰のために人材を育成するか … 目標、目的

2. どんな人材を育成するか … 教育課程

3. どのように人材を育成するか … 支援、方法



これら3つの点について考える。





1. ・中国と日本の高等職業教育の目的は同じである。

・語学力と専門スキル、そして異文化を理解する心を持ち、世界各国で活躍する人材を育成しようとしている。

・「会話での外国語運用」は教育の最上級の目標である。



2. ・KFLIの教育課程は資格を取るための教育に重点を置いている。

   English in Practice という、英語の発音や言い方の国による違いを教る授業もある。

・ZYFLの教育課程は英語の基本的な知識により重点を置いている。

・教育課程の共通な点として、両者とも生徒が流暢にコミュニケーションをとれるようになるように、リスニング、スピーキングスキルの上達に力を入れている。



3. ・「学校の支援」と「教育資源」の点で、両者の学校は基準に達したうえで、それぞれの特色をもっている。

・教師の面でいえば、調査によると、KFLIとZYFLは教師として40ヶ国以上の外国人を雇用している。

・職業訓練の要点は応用の重要性である。



Vipsholm

051250233 樋口茉奈



*この学校について

この学校のコースは大きくは4つに分かれており、アートプログラムとテクノロジープログラムと自然科学、社会科学があるが、この学校は10種類の職業教育があることが特徴だ。

この学校では必修科目が8つある。数学、スウェーデン語、英語、社会科学、体育、自然科学、芸術、宗教学がそれである。











これはこの高校の時間割である。

必修と選択科目にわかれているのがわかる。



しかし、もし自然科学のコースを選んだ場合、高いレベルの数学が必要となってくるし、もし建設のコースを選んだらより高いレベルの勉強をするために大学へ続くことになる。このように、共通で勉強しなければならないものはほかにもあるが、すべての生徒は200以上のたくさんのコースから選ぶ機会を持っている。自由に、より深いスウェーデン語のことや、ほかの言語についてなども学べるようになっている。しかしとても厳しく、レポートや期末テストなどで能力を測る。

ここで、もし建設のプログラムに進んだら、工学や電気について学ぶコースがある。もしお年寄りのひとと働きたかったら、看護師になるコースに進む。行政機関や店員になりたいひと、ご飯関連で働きたいひとはパン屋さんやレストラン、ホテルで働くひとなど…細かくたくさんのコースにわかれている。

この学校には1200程度の障害をもっているひとがおり、250人ほど

どのスタッフがいる。

もしこの学校に入りたかったら、8グレードの成績が必要で、それ以下のひとははいることができない。2年前は入るためにスウェーデン語、英語、数学のみが必要だった。

しかし今はもっと厳しくなり、入るためにはより多くの科目が必要となった。

最近ではよい仕事をみつけるのが大変になってきた。そのために、どんな勉強をしたらいいかを会社のひとなどにきてもらって学ぶこともしている。



* 学校の見学





アート専攻の生徒が作成しているものが何枚もならべて保管してあった





作業場は広く、道具もたくさんそろっていた。日本の職業訓練校のようなもので狭く深くとゆうような感じで進めていく。建設専攻の作業場は具体的には、実際の家の転覆を直すようなことまでできる。









配管工は毎年30人2クラスで60人のひとが専攻する。ナースの方も本格的な設備が整っていた。



* 生徒さんのお話

この学校は三年間で終わり、卒業してから二年間は職を得るための期間として徒弟として働く。給料は安いが、その工場で二年間働けば、本物の職人さんになることができる。

なぜこの学校を選んだかというと、設備の良さと授業内容の良さ、またちゃんとした資格をもつと給料がよいためである。







徒弟制度と幸袋職工学校              経済学部1年 豊島 紗耶



○徒弟制度                          

・日本で徒弟制度を養成する施設ができたのは1917・18年以降

→それまで手工業が中心で、そこで伝統的な徒弟養成を行ってきた。

→日露戦争を契機におこってきた大工業によっておきた工業のやる徒弟制度はむいていない



その問題を解決するためにできた第一次大戦後に会社で工場学校がつくられた

その一つが幸袋職工学校

ほかにも、八幡製鉄所(日本で最初にできた徒弟養成をする教育機関)、長門工場学校、播磨の徒弟教習所、鳥羽の職工養成所など



○幸袋職工学校(1919)…4年間

→炭鉱のための機械をつくる

→工業学校とかわらないくらい幅広い分野を教育する



・生徒定員400人、入学資格は満12歳以上16歳までの男子

・八工科にわけての教育

  *図工科*木工科*鋳工科*鉇工科*鍛工科*施工科*鏄工科*電工科

・昭和恐慌の訪れとともに志願者は急増し、競争率も激しくなっていった。

→準戦時体制にはいった昭和8年以降 6~9倍

・授業料は一切徴収せず、在学中に必要な制服、作業服、教科書などの費用の半額は補助

・実習中、時間外の勤務や休日出勤した場合はこれに相当する手当が支給された。

・生徒の大多数は寄宿舎に入舎

→ここでは日常の衣食住についての厳しい監督が加えられた。



◇設立の趣旨

実地と学理と両方面より将来機械製造工業の核となる人材をつくるために必要な教育を目的とする。特色は、在学中生徒が両親に頼らずにやっていくこと。自力修行の決心を有する少年子弟こそ教育の対象である。大正八年株式会社幸袋工作所によって設立され、15年間で輩出した卒業生は、幸袋工作所をはじめとする工業界のさまざまな方面において、貢献している。

→卒業生のうち14名は工作所に採用され、九州各地の鉄工所、炭鉱、鉄道、海軍など

 ☆企業の学校であるが地域で役立つ技術者を養成する



→第1回卒業生51名を出すものの、4年前に入学した102名の中から半数が中退

⇒公私にわたる厳しい教育が行われた。



◇教育の方針・特色

秩序ある指導をもって工場実習を課し、適切な学課を教授し、完全な職工教育の達成を目的とする。この実習は幸袋工作所の工場における実際の仕事について行うものであるため、各自さまざまなことを得ることができ、将来の職業の根幹をなすものである。

対象は、自力修業の決心を有する生徒であり、強い意志をもち、好んで労働する覚悟が必要である。



・昭和14年「工場事業場技能養成令」により、生徒は養成工に切り替えられることになる。

→1942年、創立以来20年の歴史を閉じる

→合計516名の卒業生

・14年「青年学校令」により、工作所内においても社内の青年学校として開校

・教育施設は職工学校がそのまま使われた。

・青年学校の生徒の半数以上が養成工として教育された。



































Ergonagy:Problems of Education in Japan

¬―Errors and Paradigm Shift in Education in Postwar Japan―

Kazutoshi TANAKA

(レポート作成:名古屋大学経済学部1年 末永詩織)



○Educationのとらえ方の違い

 今日発売されている和英辞典で「教育」と調べると多くの辞典で「Education」と表されている。また、同様にして「教育学」と調べると「Pedagogy」と表されている場合が多い。しかしこれらの英単語は日本での概念ときちんと対応しているのだろうか。

 実際にEducationという単語を英英辞典で調べてみると次のように出てくる。

  Education: a process of teaching, training and learning, especially in schools or colleges, to improve knowledge and develop skills. 

 (Oxford ADVANCED LEARNER’S Dictionaryより)

 下線部に注目してほしい。develop skills , つまり「技術の開発」という意味は日本の普通教育の概念の中ではあまり重要視されていない。日本と欧米諸国の間では「教育」の概念の認識に差があるのだ。



○Ergonagyという発想

 そうは言っても今までEducation=教育と教わってきた私たちがこの感覚を理解するのは容易ではないだろう。そこで今回「Ergonagy」という発想を提案したい。

 Ergonagyは、教育学と日本では翻訳されるPedagogyがpaidos+ago(=child+lead) であるのにならってergon+ago(=work+lead)=Ergonagyというように造られた造語である。ではErgonagyという概念の立ち位置はどのようであるのだろうか。



 Fig.1を見て分かる通り、Ergonagyは学ぶ権利と職業訓練を受ける権利を含んだものである。この2つの権利がうまく機能することによってその先の雇用の権利、そして生きる権利がより強固なものとなる。Ergonagyはその指導の方法ではなく、あくまで人間を構成する一種の発想なのである。

○Ergonagyの実現に向けて

 では、上で見てきたようなErgonagyを日本で実現していくためにはどのようにすればよいのだろうか。Fig.2を見てほしい。この図はとても単純だがErgonagyに基づく教育を端的に表している。この中で最も重要なことは職業訓練的な教育の比率が一番高いのが大学であるということだ。現在日本の大学で職業教育を行っている学校はまだまだ少ない。インターンシップなどはだいぶ普及してきているものの、そのような短期的な経験で得られるものは限られてくるだろう。そこで大学が主体となって長期的なカリキュラムで職業教育を行っていくことが大切である。近年日本は大学全入時代と言われている。しかし学生が大学を卒業して社会に出た時のことを考えると、今のままの大学教育では「仕事で使えない人材」となってしまいかねない。大学での職業教育を盛んに行うことで社会において「即戦力」となる人材を育てることが重要である。

































雇用の再認識・これからの雇用制度 ~宮城県、東北大震災を通して~

                          経済学部1年 豊島 紗耶



○はじめに

人々が災害で被害にあった東日本では、被害をうけた地域の復興や雇用を必要とし、現在雇用の重要性が再認識されている。この報告では、将来の日本の雇用制度の方向性、東北大震災や被害をうけた地域の復興に基づいた職業訓練について考える。



○日本の職業訓練

・在職者向け…新しい雇用者の訓練やskill up

・離職者・失業者向け…失業した人、新しい仕事についたばかりの人の訓練

・養成訓練…高校を出てから入る訓練



○日本の中にある職業訓練校

・職業訓練校

・職業訓練短期大学校

・職業訓練大学校

・職業訓練促進センター

・障害者の職業訓練校



○生涯学習の状況

日本の生涯学習は、現在趣味がメインである。現在の日本人の多くは学校を卒業してからや、仕事についてから再び学校に戻って学ぶことが少ない。

→日本の会社の多くは長期的に労働者を雇うとともに、労働者は会社内で訓練をする。

   

働く人々にとって、生涯にわたって学ぶことが大切



○復興の取り組みと職業訓練―震災直後―

・石巻職業訓練校は津波の被害にあい、はじめは再開することは難しかったように思われたが、人々の力によって再開できた。県は、津波の被害にあった人々に試験のお金と入学金の免除を行った。

・通常の短期訓練に加え、被災者のための訓練を行った。(がれきの撤去に必要な機械操作の資格をとるための訓練)



○生徒の状況

電気、建築など震災対策のための職業訓練をするが生徒は集まらない。

→求人が高い。

→しかし、IT関連の訓練コースは100人以上いる。



○職業訓練以外の取り組み

・雇用保険の延長

・短期雇用の増加

・被災した会社にお金を出して再建する



○問題点

・女性の働く場の確保が難しい。(がれきの撤去の仕事などは男性中心)

・被災地では、主に地震の復興に関連した短期的な雇用(長期的な安定した雇用を望む人が多い)              

・地震の被害でのトラウマによる意識の低下

・労働意欲の低下



○これから

・企業に入ってからOJTがなくなってきた。

・終身雇用がなくなってきた中で、新しい知識の習得は近い将来、雇用者がそれぞれ行っていくべきである。

・震災後人々は新しい仕事につくことが難しい。

→人々に生涯学習、自由に転職できる機会を提供していく必要がある。

→現在の仕事だけでなく、将来の仕事の知識やスキルを習得していくべきである。



       個人で学ぶ社会をつくっていくことが重要である

























フィンランドの教育システム

―ヘルシンキ空港にて、タパニ=カナノヤさんの話―

名古屋大学文学部1年 太田さき



26日(日)は、ルンドからヘルシンキへ移動した。ヘルシンキ空港では横山教授の知人であるタパニ=カナノヤ(Tapani KANANOJA)さんが出迎えてくれた。タパニさんはフィンランドの教育委員会の技術教育部門のスーパーバイザーを務めた経験が有り、アフリカ諸国にも技術教育指導のために赴任したことがあるという。以下にタパニさんが紹介してくれた話をまとめる。





 フィンランドがOECDで好成績を納める理由

フィンランドはOECDで良い成績を修めており、その理由はいくつかある。



1.フィンランドはとても小さい国であり、他の国々より総合的な改革をより簡単で安く、速く行うことができる

2.1866年から、教育や政策において、多くの新しい試みが行われた。その際、早くも‘Education for All‘(すべての者に教育を)、‘Equal opportunities‘(機会均等)という考えは取り入れられていた。

3.フィンランドの学校は、一度も教会の支配を受けなかった。

4.フィンランドの国民的性格は、`to do better than before‘(常に以前より良いものを目指す)である。

5.外国の教育モデルを慎重に選んで受け入れ、何でもそのまま取り入れることはしない。

6.義務教育が適切な時期に始められた。

7.すべての教師は1980年代に始まったMasters in Educationを受けるので、研究に精力的に取り組む方法を身につけることができる。

8.フィンランドは、他の多くの国々とは違った路線を歩んでいる。また、グローバリゼーションに付随する問題にはあまり影響を受けていない。国民は発達した教育制度を平等に受ける機会を有している。





 フィンランドの教育システム図



(注:図は8月30日に訪問したPornainen Yhtenäiskoulu (ポルナイネン基礎学校)で頂いた資料より引用、筆者により一部改編)



※1 高校卒業後、男子と一部の女子は1~2年ほど兵役につく。その他の女子は就労する者もいる。その後大学に進学することができる。

※2 基礎教育における「10年生」とは、9年間の義務教育において必要な単位を取得できなかった生徒が進むコースである(課程主義)。詳細は後に記す。



 フィンランドの教育制度の特徴

1. 義務教育について

義務教育は7歳から開始。6歳児は就学前教育を受けることができる。

義務教育は6年制のPrimary schoolと、3年制のSecondary schoolからなっており、その後「10年生」に進むか、3年制のUpper-secondary schoolに進学する。



2. 「10年生」の制度

9年間の義務教育で必要な単位を取得することができなかった生徒が進むコース。

プラクティカル(実習)教科を行うほか、基礎教科(数学、フィンランド語等)も学べる。10年生終了後は多くの者がVocational school(職業訓練校)に進むが、成績の良い希望者は大学へ進学することもできる。



3. 技術教育(工作教科)の重視

フィンランドでは、ウノ=シグネウスによって世界で初めて工作教科が必修となった(1866年)。



4. 少人数教育

かつてはフィンランドも40人学級だったが、改革により1クラス20人以下となった。そのため、教師自身が研究や勉強を行う余裕が生まれ、きめ細やかな指導が可能となった。





 総括

フィンランドがOECDで好成績を残しているのは、前述のような、いわばゆったりした教育制度の賜物であるといえる。また、教師の意識の高さや効果的な授業もその一因である。また、OECDで評価される基礎教科のほかに、工作教科の充実にも注目すべきである。





Omnia

名古屋大学教育学部1年 横山佳奈

 2012年8月28日、ヘルシンキ郊外のomnia職業訓練高校を訪問しました。



 同じ敷地内に工業高校と、より実践的な内容を学ぶ訓練センターがあり、私たちは訓練センターのみを見学しました。

 まず、この学校についての説明を受けました。

 このomnia職業訓練校は、エスポー地域における教育の共同機関であり、若者と大人のための複数の部門をもった職業教育プロパイダです。個人個人の能力をベースとした職業教育や特殊な職業資格を提供しています。また、高等学校の卒業資格・職業資格の2つの資格をとることができます。高校では、普通科目も勉強しているので、普通の大学に進学することもできるし、もう少し実践的な(日本でいう専門学校のような)学校に進学することもできます。

 この学校では、基礎訓練を3年間受け、その後就職し、働きながら月3回程度再び学校で学び、資格の取得を目指します。説明してくださった先生によると、テクノロジーは進化していくので、卒業した後も学校に戻ってきて学習できるようにしているとのことです。

 また、omnia職業訓練校の革新、として、職業企業家のための中枢となっていること、21世紀の新たな学習環境を開発したこと、FNBE(フィンランド全国教育委員会)に選ばれた教員研修センターがあること、などを説明していただきました。

 日本では、教育と職業訓練は全くの別物という概念がありますが、この学校ではその二つが同じものとして考えられているように感じました。フィンランドでも、50年ほど前までは別物として考えられていましたが、フィンランド全国教育委員会の政策でこの2つを融合させることになったそうです。

 ちなみに、この学校の生徒数は10,000人、指導教員は700人とのことです。生徒のなかには、障害のある方もいます。このような規模の大きな職業訓練校は類を見ないそうです。

 説明を聞いた後、学校内を見学しました。

これは、学校内にあるレストランの写真です。生徒たちはここで実際に料理を作り、お客様である地元の人たちに提供します。

 生徒は5週間実習としてここで働きます。やはり、その後レストランに就職する生徒が多いようです。







厨房の様子です。私たちが見学したときはちょうどお昼前だったので、ランチタイムで提供する料理の準備が行われていました。

学校の実習という様子ではなく、本格的なレストランの厨房のようでした。

実習の内容の充実さを感じました。









これは、学校内にある美容院の写真です。

高校で基礎的な内容を3年間学んだあと、週5日で1年以上、ここで実習を行います。

 こちらの設備も充実しています。











シャンプーなどヘアケア用品が売られていました。









 服飾科の生徒がデザイン・製作したドレスが展示されていました。



下の写真のドレスは、よく見るとゴミ袋で出来ています。







 こちらは、学校内にある土産物店です。

ここでは、生徒が授業内で制作したグッズを販売しています。













 ビジネスの授業の様子です。生徒たちは、自分のビジネスアイディアを議論しています。アイディアは、生徒自身が作り出すことを重要視しています。教師はそれを手助けするくらいで、基本的には生徒まかせです。それを通じて生徒が成長するのだと説明していただきました。

 教師は生徒を手助けするだけという姿勢は、この授業だけでなく、どの授業でも共通のようです。





 この学校の教育訓練費はすべて国費で賄われているので、無料です。

無料でこれだけ設備が充実していることに驚きました。

 また、この学校には上にあげた調理科、服飾科、ビジネス科などさまざまなコースがありますが、入学するときはどのコースかを決めて入学します。しかし、途中でコースを変わることも可能です。

 日本よりも充実したいろいろな設備に驚きの連続でした。フィンランドの教育への力の入れ方を実感するとともに、日本との違いを感じました。

























































9 Kallahti Comprehensive School

経済学部1年 田村伊吹

ヘルシンキの東部のVuosaariに位置している.1992年に建てられ,三期制となっている。

○目的

頭で学ぶだけではなく,生徒たちが共に実際に身体を使い,繰り返し行うことによって学ぶことを重要としている.生活に必要とされる,基本的な技能を身につけた人間を育て,互いに尊重しあえる人間を育てることを目的とする。

○教育システム

7歳まで、義務ではないが、学校に入るための一年間の事前教育または子供デーケアセンターでの教育を受け,そこから9年間義務教育を受け基礎課程を学ぶ。学校には530名ほどの生徒がおり,そのうち280名は1から6の学年に属し残りは7から9の学年に属す。9年間の義務教育の後、一部であるが自由意思によりもう一年教育を受ける者もいる。そのあとは高校か職業学校に進学し3年間の教育を受け、その後大学か技術・工芸機関で3~5年教育を受けることになっている。また,この学校のある地域には市が移民のための住宅街を建設しておりおよそ32%の学生はソマリア、イラク、アラビアなどからの移民となっているため、OECDのPISAが低くなり問題となっている。そのため、10学年まで受ける者も比較的多くなっている。生徒たちに職業能力を身につけて貰い、正業に就いて貰うためである。また、10学年からの進級は職業学校へがおよそ9割と平均に比べれば高いようである。

○カリキュラム

独自のカリキュラムを持ち,低学年ではスポーツ,自然科学に力を入れている.また,高学年になると選択科目も増え,自分でやりたいことを選べるようになっている。1,2,5,7学年は芸術、物理、音楽、政治学、図工などを選択できる。

技術教育における設備が整っており、非常に力を入れている。







音楽の授業は実際にさわって練習することになっており、体験学習を重視している。











普通の学校の2倍の広さの体育館をもっており、ここでも身体を動かすことを重視していることがわかる。











授業のほかにも、生徒の中でいじめを防ぐTukioppilaartというイベントを行ったり,学生雑誌の発行にも力を入れている.また、上の学年が下の学年と一緒に遊ぶbrake playersという企画も行っている。

























10.8/30 Finland, ポルナイネン基礎学校の訪問について

011200189 文学部 伊藤観月



○フィンランドにおける「教育」

フィンランドは、2004年末に発表された経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)でトップの成績をあげた。フィンランドでは、日本のような塾や予備校はなく、高校進学は中学卒業時の成績で決まり、自分で卒業成績が低いと思えば、もう一年余計に中学に通うことも可能なシステムである。



○フィンランド国家教育委員会(FNBE)

FNBEとは、1991年基礎教育国家委員会と職業教育国家委員会の二つの委員会が統合されて出来た教育省管轄の委員会。初等・中等教育、職業教育・訓練、成人教育(主に職業教育)における教育目標、教育内容、教育方法を管轄し、教育評価や国内外へのさまざまな教育サービスを行っている。

フィンランドの教育方針の主な目標は、年齢、居住地、財政状況、性別や母国語にかかわらず、すべての国民に教育を受ける機会を均等に提供することである。また、すべての国民に可能な限り高い水準の教育を達成することである。根本方針として学校教育は基本的に無料で行い、さらに経済状況に関係なく子どもたちの能力や必要性に応じて総合教育に加えてその他の教育も行っている。



○一般的な教育構造

Pre-primary school(小学校入学前の教育)

       ↓

BASIC EDUCATION(基礎学校)

→Matriculation examination (高校進学)

→Vocational qualifications(職業資格)

●Pre-primary school ,プレスクール

7歳になって義務教育が始まる前に、子どもたちはプレスクールヤ保育所で学校に参加することが出来る。プレスクールへの参加は自発的に行われるが、地方自治体はプレスクールでの教育を提供する義務がある。2009年には99.4%がプレスクールに通い、約70%が保育所に通っていた。プレスクールの目的は、子どもたちに学ぶ力や前向きな自己像を身に着けさせ、基礎的な技術や知識を獲得させることである。



●Basic Education , 基礎学校

義務教育は、身体的・精神的障害者に対する学校教育上の特別なケアが必要とされない限り、子どもたちが7歳のときにはじまる。基礎学校の教育課程は9年制であり、ここでの授業料は無料である。テキストや他の道具などの学校教材もすべて無料であり、また給食も無料である。また学校から5km以上離れたところに住んでいる生徒には、無料で送迎サービスが提供され、通学に3時間以上かかる場合には、寮での食事と宿代も無料で提供されている。



また身体的・精神的障害をもつ子どもたちのためにクラスが与えられ、そのクラスを担当する教師がうけもっている。

生徒に親身なカウンセリングも整えられている。









小学校入学前の教育・初等・中等教育10年間を終えると、子どもたちは高等学校か職業専門学校の二つの選択肢から選ぶことが出来る。日本では約80%が高校進学、約20%が職業高校や専門学校に行くのに対して、ここでは約30%が高等学校へ、約70%が職業専門学校へと進む。また、一度職業専門学校に進むと、そこから基本的に進路の変更をする生徒はいない。

◎技術科の教育

初等・中等の技術科の教室を見学したが、設備がととのっており、日本と比較すると日本の中等教育で用いてきた道具がこの学校の初等のものと類似しており、中等のものは日本では職業高校や専門学校でしか見られないような道具が用いられていた。







またあらゆる電気機材には赤いボタンが設置してあり、指導者が危険だと判断した際にそのボタンを押すと、機械が停止するシステムとなっており、また扉付近に設置してある赤いボタンを押すと、部屋の機械がすべて停止するシステムになっている。



日本よりも危険な機械が多く用いられる分、安全面に関しては日本よりも注意が払われているように感じた。



   



●General Upper Secondary Education , 普通高等学校

普通高等学校教育は一般に16-19歳の生徒に対して行われている。高等学校の修了過程として最後に大学入学試験があり、入試に合格するとテストの詳細や修得した成績の記された証明書が与えられ、その生徒は自分の研究を大学で続けることができる。



●Vocational Upper Secondary Education, 職業高等学校

主に16-25歳の生徒が所属し、3年間フルタイムでの修学が基本とされている。教育指導者が初期の学業成績や入試の結果、適正、職業経験に基づいて生徒を選択する。その後生徒は勤労生活で必要とされる職業技術の獲得を目指して、自分の適性を見つけ出し、大学や高等職業専門学校に志願する。

○教師や教育スタッフ

どんな学校のレベルにおいても、すべての教師は修士の学位が必要とされ、献身的でなければならない。フィンランドでは教職は人気な職業で、大学側は最もやる気のあり有能な志願者を選ぶことが出来る。先生という職業は独立していて、教室では自主性を持っている。校長もまた教育スタッフの一員としてみなされていて、スクールカウンセラーや精神分析医、保育士や校医、学校運営スタッフなどもすべて教育スタッフに含まれている。



○フィンランドでの教育が成功している背景

・平等に与えられている教育を受ける機会

・無料で与えられる授業料、教材費、給食費

・総合学校における幅広い教育

・有能な教師

・生徒のカウンセリングや身体・精神障害をもつ子どもへの特別なケア

・社会においての教育の重要性

・政治権力に基づいた柔軟な教育

・生徒の関心、積極的な学習姿勢



○感想

北欧の学校訪問全体を通して言えることであるが、北欧の子どもたちは日本のこどもたちに比べて学習への意欲や関心など、全体的に意識の高さを感じた。総合学校卒業後約70%が職業高校に進むという事実にはとても驚いたし、その数字から学生たちが若いころから職業に対して強い意識をもっていることがわかった。

また授業料、教材費、給食などの費用がすべて無料であり、設備の充実は、フィンランドの教育水準が高いことに大きく関係していると思った。その根底となるのが税金であり、日本に比べてとても高い税率となっているので、この差が教育に与える影響はかなり大きいのではないかと思った。税金と教育の関係性を調べてみると面白いのではないかと思う。



2010年3月9日火曜日

ものづくり・技術教育研究会 発表資料

第16回ものづくり・技術教育研究会(2009.10.31 於:名古屋大学教育学部)における発表スライドの一部修正版。

<資料タイトル>
ノルウェーで見て考えたこと : 「ナイフ」にこだわって
<URL>
http://hdl.handle.net/2237/12453

2009年11月5日木曜日

2009年の教育調査に関する記録 【 前半 】

 2009年は,8月10日~8月31日の日程でノルウェーにて教育調査が実施された。調査に参加した2名の学部生が研究室に寄稿してくれた記録を,以下に掲載する。


《 前半の記録:8月10日~8月20日 》


8/10  日本からノルウェーへ

 午前11時頃日本を離陸し、途中フィンランドのヘルシンキで乗り換えをし、約9時間のフライトを経てノルウェーに着陸しました。空港からはタクシーで首都オスロ
まで移動してその日泊まることになっていたブジェットホテルに向かいました。その後は、長いフライトの疲れを癒すために各自ホテルで休養をとりました。







8/11 首都オスロ観光

 午前中私たちはオスロ駅から地下鉄に乗ってムンク美術館に訪れました。 そこでムンクという偉大な芸術家の生い立ちを学び、有名な「叫び」を含む様々な彼の作品を観ました。そしてホテルに戻りノルウェーの旅をプロディユースしてくださったビヨンと、アメリカのミネソタ州大学の教授であるジェリーの2人と合流しました。 午後はビヨンが首都オスロの観光案内をしてくださいました。






 ノルウェーの街並みはとてもきれいで、多くの人がカフェテラスでお茶をしながらのんびりと休日を過ごしていました。国会議事堂や国立劇場、王宮などの建物はどれも伝統的な趣のあるものばかりでした。カフェに入り昼食を済ませてからオスロの港を散策しました。


 ウ゛ァイキングのお城も見学し、ノルウェーの歴史もビヨーンに教わりました。
私たちは再びオスロ駅に向かい、電車に乗ってコングスバークという町に行きました。そこで、1週間のテレマーク滞在中私たちの運転手を務めてくださったヤンと会い、彼の運転するバスに乗ってテレマーク大学に到着しました。私と滝口さんと伊藤さんの3人は、テレマーク大学の勤めているヤンとオーセの家にホームステイさせてもらうことになり、横山教授、松本先生、加藤さんの3人は大学の学生寮に滞在しました。その日私たちは、教授たちの滞在する学生寮を後にし、ホームステイ先に向かいました。ヤンとオーセはとても仲がよく、私たちを温かく迎えてくれました。






 ノルウェーの夜はとても長いです。夜の9時頃まで空は明るく、10時頃から暗くなり始めます。なので、夕飯を食べ終えてもお菓子を食べたりしておしゃべりをしていました。私たち学生にとっては、とても英語の勉強になりましたし、ヤンが幼少の頃使っていた離れのトイハウスにはベッドやテレビ、机や様々なコレクションが飾られていて私たちはとても快適に1週間のホームステイをすることができました。


8/12 国際会議スタート

 いよいよ、国際会議が始まります。 朝9時にテレマーク大学に集まって自己紹介をしました。参加国は、ノルウェー、フィンランド、インド、アメリカ、日本の5カ国です。学生が来ているのは日本だけだ
ったので初めはとても緊張しましたが、いくつかのグループに分かれて自己紹介をしたので、参加者との対話にも次第に慣れることができました。各国の教授たちが自分の研究テーマについてプレゼンテーションする、という形式で行われた“Quality in Education”は、とても白熱し
ました。その理由は、それぞれのプレゼンテーションのテーマは違っていてもその根本にある“教育”という大きなテーマが参加者一人一人にとって非常に重要なものだったからだと思います。言語も国籍も違う者たちが一つのテーマについて、英語という共通語を使って討論しました。


 大学ではランチチケットが1週間分配布され、とてもおいしいノルウェー料理を毎日いただきました。パンやタイ米が主食ですが、それに添えるチーズやハムがとても美味しく中でもブラウンチーズという茶色いチーズは日本では食べたことのない香ばしい味のするとても珍しいチーズでした。この日の夜から長谷川さんという名大の院生の方が合流しヤンとオーセの家で楽しく夜を過ごしました。

8/13 幼稚園、工業高校訪問

 この日はプレゼンテーションはなく、国際会議のメンバーで幼稚園と工業高校を訪問しました。幼稚園ではパンケーキをごちそうになり、工業高校ではお茶とケーキをいただきました。こちらの人は訪問時に必ずお茶やお菓子を用意してくださり、とても温かく歓迎してくださるので、とてもうれしかったです。幼稚園ではコマや竹トンボなどの日本の伝統的な遊び道具を子どもたちに紹介したりして一緒に遊ぶことができました。工業高校ではたくさんの機械が置かれた部屋を見学し、学校の制度についてスライドを見ました。見学後は少しショッピングをして、夕方からファーマーの家に行きノルウェーの伝統料理をごちそうになりました。


ノルウェーではトナカイの肉のミートボールに甘酸っぱいジャムをつけて食べる風習があるそうです。それにジャガイモやキャベツのスープを添えていただきました。とても美味しかったです。

8/14 プレゼンテーション


 この日は1日中プレゼンが行われました。インド人のサンジェーブ、横山教授や加藤さん、長谷川さんがプレゼンをしてそれに関する議論が繰り広げられました。夜にはホームステイ先でお寿司パーティをしました。魚介類はノルウェーのスーパーでとても美味しいものが手に入るので、サーモンやアンコウを買ってきて、日本から持ってきたのりや醤油をつけてたべました。ヤンとオーセは2人ともとても喜んでくれて食べ終わるとギターを弾いて歌を歌ってくれました。



8/15 教会訪問、登山前日

 早朝からテレマーク大学に集合し、ヤンのバスに乗って古い木造教会に訪れました。そこでは牧師さんが歌を歌ってくださり、伝統的なノルウェーの高床式のお家を見学しました。その後山奥までバスで移動して、コテージに辿り着きました。翌日の登山に向けて一泊して早朝から山登りをすることになっています。その山はノルウェーが第一次世界大戦時にドイツに抵抗した時に拠点となった山であり、とても歴史上有名な山でした。“ノルウェーの富士山”に登るという大きな計画を前に、みんなでコテージの食堂でディナーをいただきました。デザートの手作りプリンはとても美味しかったです。


8/16 ハイキング


 私にとってこの旅一番の忘れられない思い出となった登山。本当に道が険しく、天候も悪かったので雨の中必死で先頭についていきました。初めは山の歴史についての詳しい説明を聞きながら歩き、途中からは本格的な登山でした。第一次世界大戦時、ノルウェーの研究者たちはHeavy water (重水)を開発し、その威力でがん細胞の拡大を抑制する、という研究を進めていたが、ドイツ政府がそれに目をつけHeavy water の威力を核に利用しようとしました。ノルウェーは必死で抵抗し続けたがドイツは大砲を打ち攻撃し続けました。その大砲が打たれた跡が山にはいくつもあったのです。私たちは登山をしながら、第一次世界大戦という戦争とノルウェーの歴史を学
び、自分の足でその道を歩くことで戦争について深く考える時間をもちました。



 山頂にある博物館を目指して黙々と登り続け、何度かくじけそうになったけれどその度にビヨンや仲間たちに助けられてついに登りきることができました。途中で雨が降ったせいか、山頂からは大きな虹が見えたのです。ビヨンは登りきった私たちに賞状をプレゼントしてくれました。すばらしい達成感を感じました。私自信、人生初の登山だったので、とても良い経験になったと思います。博物館を見て回った後にヤンのバスに乗って家に帰りました。家に着いて仮眠を取りヤンがエビを解凍してくれたので、みんなでエビのサンドイッチを作って食べました。


8/17 セレモニー&市長さんとの会食




 午前中はプレゼンの締めくくりをしてテレマーク大学の近くの小学校を訪問しました。そこで授業を見学し、私は日系移民の少女と一緒にパソコンの授業を受けました。小学校低学年の頃からパソコンを自分一人で使いこなせるよう訓練されていることに驚きました。お昼に私と滝口さんは浴衣に着替え、テレマーク大学のセレモニーに出席にました。生徒と教師が体育館に集まり、バンドやトークショーなどが披露されました。最後に私たちも紹介され、舞台の上で花をもらいました。



 浴衣を着たままノートンの市長さんのもとへ行きました。彼女は伝統衣装を着て迎えてくださり、とても気品のある方でした。ノートンの水力発電の仕組みについて説明を受けた後、特別な客人しか入ることのできない素敵な建物に招待され音楽をきき、豪華なディナーをいただきました。


8/18 オスロ観光 お別れ

 ヤンとオーセの家とお別れをし、テレマークを出てオスロに到着しました
。ウ゛ィ―ゲラン公園という大きな公園を散策し、お昼はベンチに座ってピクニックをしました。ヤン、オーセ、マリット、アーネと私たちでのんびりとオスロを観光し、夕食にノルウェーの伝統料理を食べられるレストランに連れて行ってもらいました。
 オスロ駅でお別れをする時は、それまでの1週間を思い出して自然と涙がこぼれました。親切にしてくださったみんなの温かみが本当に心にしみて、ヤンやアーネが抱きしめてくれた時にはもう号泣でした。私たちの旅はまだ続きますが、ここで一つの別れを経験しました。それから3時間ほどして、オスロ駅から夜行列車に乗ってベルゲンに向かいました。

8/19 ベルゲン観光→ボス
 

 早朝にベルゲンに着き、カフェで朝食を済ませてからホテルを探したのですが、偶然にもその日ベルゲンでコンサートが開かれるということでどこのホテルも満室状態、というハプニングに見舞われました。仕方ないのでその日一日観光してから夕方ボスに移動してそこのユースホステルに泊まることにしました。ベルゲンには魚市場があったので、新鮮なサーモンや蟹を食べ、有名な作曲家グリークの家にも行きました。ショッピングセンターも見て回り、一日かけてベルゲンを満喫しました。

 そこから電車でボスに行ったのですが、そこはベルゲンでの賑やかさは全くなくとても静かな町でした。湖の前のきれいなホテルは、それまでに泊まったユースホステルの中で一番広い上にトイレとシャワーが部屋の中にあったので私たちは大喜びでした。夜は共同キッチンを利用して、ベルゲンで買ってきたサーモンやいくらとクラッカーを食べたりタイ米でおにぎりを作ったのですが、そこでたまたまノルウェー人のスンナという女性に出会い、一緒に食事をしました。偶然にも彼女は高校生の頃日本に留学していたらしく、日本語も大体話せるようでした。私たちは、食事が終わった後も、ロビーに移動して話していました。すると、日本人の青年2人がロビーにいて、そこでもまた盛り上がりました。その上、記念に写真を撮ろうとしたら、イギリス人男性が「僕が撮りましょうか?」と声をかけてくれたのです。本当に不思議な夜でした。私たちはそのイギリス人男性マシューとも仲良くなり翌日のフィヨルドツアーのルートも同じということがわかったのでまた明日、と言って部屋に戻りました。



8/20 フィヨルドツアー

 待ちにまったフィヨルドツアー当日の天気はとても良く、ホテルの朝食を湖の前のきれいな空の下で食べながらランチ用サンドイッチも作りました。ツアーのバスは初めはトラブルもあり戸惑いましたがなんとか乗ることができ、途中でフェリーに乗り換えました。フィヨルドの中をフェリーで通り抜けている時は、本当に壮大な自然に圧倒されました。マシューとその友人のアレックスともおしゃべりをしながらフロムまで快適な船旅でした。





 フロムで少し買い物をして、フロム鉄道に乗りました。列車に乗りながら風景を楽しみ、途中、滝の前で乗客を降ろしてくれるというサービスもあるツアーでした。楽しいツアーも終わり、オスロに向かう列車に乗り換えました。夜の10時頃オスロ駅に到着し、ビヨーンと再会した後、再び夜行列車に乗って眠りました。


【 執筆 : 学部2年生 】



《 後半の記録:8月21日~8月30日 》


8/21
 朝7:40ごろTrondheim到着。
 サーメ人のある女性が"サーメに権利を"と立ち上がった教会の外観を見学し、ニダロス大聖堂に向かいました。ニダロス大聖堂は、ノルウェー王であったオーラヴ王の墓跡に建造された教会であり、そのたたずまいからかつて"北欧一素晴らしい荘厳な大聖堂"とも呼ばれていたほどであったと言われています。(パンフレットより。)





 まず、その外観もすばらしいのですが内装もすばらしく、厳かな雰囲気でかつ華やかさも備えている、とても美しいものでした。ステンドグラスがとくに印象に残っています。聖書にでてくる『放蕩息子』などのステンドグラスもありました。大聖堂の屋上にあがるツアーに参加することができ、そこからはトロンハイムの街が一望できました。
 夕方になり、オスロから同行してくれたBjornと別れましたが、その後も街を楽しめました。
夜7:00、再び大聖堂に行き、ちょっとした歌を聴いたのですが、心が洗われる、なんとも神聖な気持ちになりました。そうして、Mo i Ranaに向かうため再び夜行列車に乗ったのです。


8/22
 朝6:00ごろMo i Ranaに到着。
 駅までBjornの息子さんであるEivindが迎えに来てくれており、そこから彼の家へむかいました。馬がいて、隣の家までも車で移動するような、本当にのどかなところでした。
 ここの地域で今建設中の学校を見学に行ったのですが、鉄筋造りがおおく、どことなく冷たい感じがする日本の学校に比べ、この学校は木造で、地域住民のためのミーティング室も設けられていて、温かな学校でした。また保育園も併設されていました。
 そのあとに行ったスーパーの近くでダンスパーティーのようなものが開かれており、飛び入り参加。快く受け入れてくれ一緒に楽しみました。こういうところにもノルウェー人の温かい人柄がでているな、と実感しました。
 Eivindは私たちを、自分の隣人宅に連れて行ってくれました。日本だとここまで密な近所づきあいは珍しいのですが、ここではみんなが助け合って暮らしているようです。

8/23
 隣人のお宅にお邪魔してそこで飼われている馬に乗せてもらいました。目の高さがうんと高くなり見える景色がとてもきれいでした。乗馬の後は、牛の乳しぼり体験。しぼりたての牛乳はとても甘く、口当たりもまろやかでおいしかったです。
 そのあとまた別のお隣さんのお宅に、手作りのサウナがあるということでそこにはいらせてもらい、そこのお宅でディナーをごちそうになりました。ここにきて地域の強い結びつきを本当に実感することができます。

8/24

 Eivindの家を出る日。
 パッキングをして、"景色のきれいな場所"に連れて行ってもらいました。きれいな湖、雄大な山、素晴らしい眺め、すべてに感動しました。氷河も見ることができました。

 その後は、Bjerkaにあるサーメクラフトのギャラリーへ連れて行ってもらい見学しました。そして、キャンプ場に送ってもらいここでEivindとお別れをしました。この日は、キャンプ場のコテージ泊。星いっぱいの夜空に圧倒されました。ノルウェーの夜空は本当に星がいっぱいです。



8/25
 列車でMosjoenへ向かう。
 駅からはタクシーに乗り、Folke hog skoleへむかいました。 ここは、18歳から入れる学校で1年間やりたいことを見つけるためなどに学ぶ場所で、いわゆるモラトリアムです。
 そして歩いて街にでてサーメミュージアムへ。正直サーメについて基礎知識など無いに等しかったのですが、いろいろ学ぶことができました。サーメの伝統衣装はとてもかわいいです。そして、サーメの組紐作りを体験しました。出来上がった組紐はベルトにつけたりします。
 作り終わった後はFolke hog skoleの学生寮にもどりました。学生はこの寮に必ず入らなければならなく、6人1室で(男:女=4:2、2:4)集団生活を行います。食堂で1日4食でますが、共同キッチンもあります。

8/26
 Folke hog skoleの学校説明を受けました。
 ここでは"バンド"、"シアター"、"裏方(シアターの)"、"スポーツ"、"バレーボール"、"アウトドア"の6つのコースがあり、キャンプなどのフィールドワークのような活動が豊富に計画されていて、集団行動を基本としています。
 このような学校は北欧特有なものなのですが、日本にもこのような学校があれば、大学入学後に自分の本当にやりたいことがわからなくなってやめていくような人が少なくなるのではないか、と思いました。実際に教室などを見学させてもらいましたが、生徒の一人ひとりがいきいきとしており本当に今を楽しんでいる、といった印象を受けました。また、それぞれのコースのための本格的な設備も整っていました。

8/27
 佐藤さんと私で再びMo i Ranaへ、先生たちは一足先にOsloへ、長谷川さんは研究のため北へと別行動になりました。
 Mo i Rana駅でEivindの迎えの車に乗りもう一度Eivindの家へ。彼の飼っている馬に乗せてもらえることになって乗馬をしたり隣人と交流したりして、そのあと家の近くの湿地帯のところに行き、火をおこして夕食を食べました。水も川から汲んだり、木の枝にソーセージをさしたりとキャンプのようでした。初めて2人だけで電車に乗って行くということで不安もあったのですが、無事に着け素敵な一日を過ごせてよかったです。

8/28
 Osloに戻る日。
 EivindにMo i Ranaの街まで送ってもらい、列車の時間まで図書館に行きました。日本の図書館とそこまで変わらず、たくさんの本、CD、DVDがありました。
 列車の時間になり、Eivindとお別れをしました。まずはMo I RanaからTrondheimまで。途中、列車の調子が悪いのか何度か停止していていましたが予定通りに到着。次の乗り換えでTrondheimからOsloの予定だったのに、列車のトラブルで夜中の2:00に乗り換えをしてOsloに向かわなくてはならなくなるというハプニングもありましたが、無事に乗り換えることができました。

8/29
 いろいろと大変ではあったのですが無事にOslo到着。
 そこからホテルへ向かい、先生たちと合流しました。ホテルに早めのチェックインができたので長旅の疲れをいやすため休養をとりました。

8/30
 日本へ帰る日。
 朝Oslo空港へ向かい、帰路につきました。


 Norwayでは、本当にたくさんの人との出会いがあり、普通に大学で過ごしていたら経験できないようなことを経験させてもらいました。このことは私にとってものすごくプラスであったし、これからのことを考えるよいきっかけとなりました。この研修に携わってくれた多くの方に、感謝の気持ちでいっぱいです。



【 執筆 : 学部1年生 】