2009年11月5日木曜日

2009年の教育調査に関する記録 【 前半 】

 2009年は,8月10日~8月31日の日程でノルウェーにて教育調査が実施された。調査に参加した2名の学部生が研究室に寄稿してくれた記録を,以下に掲載する。


《 前半の記録:8月10日~8月20日 》


8/10  日本からノルウェーへ

 午前11時頃日本を離陸し、途中フィンランドのヘルシンキで乗り換えをし、約9時間のフライトを経てノルウェーに着陸しました。空港からはタクシーで首都オスロ
まで移動してその日泊まることになっていたブジェットホテルに向かいました。その後は、長いフライトの疲れを癒すために各自ホテルで休養をとりました。







8/11 首都オスロ観光

 午前中私たちはオスロ駅から地下鉄に乗ってムンク美術館に訪れました。 そこでムンクという偉大な芸術家の生い立ちを学び、有名な「叫び」を含む様々な彼の作品を観ました。そしてホテルに戻りノルウェーの旅をプロディユースしてくださったビヨンと、アメリカのミネソタ州大学の教授であるジェリーの2人と合流しました。 午後はビヨンが首都オスロの観光案内をしてくださいました。






 ノルウェーの街並みはとてもきれいで、多くの人がカフェテラスでお茶をしながらのんびりと休日を過ごしていました。国会議事堂や国立劇場、王宮などの建物はどれも伝統的な趣のあるものばかりでした。カフェに入り昼食を済ませてからオスロの港を散策しました。


 ウ゛ァイキングのお城も見学し、ノルウェーの歴史もビヨーンに教わりました。
私たちは再びオスロ駅に向かい、電車に乗ってコングスバークという町に行きました。そこで、1週間のテレマーク滞在中私たちの運転手を務めてくださったヤンと会い、彼の運転するバスに乗ってテレマーク大学に到着しました。私と滝口さんと伊藤さんの3人は、テレマーク大学の勤めているヤンとオーセの家にホームステイさせてもらうことになり、横山教授、松本先生、加藤さんの3人は大学の学生寮に滞在しました。その日私たちは、教授たちの滞在する学生寮を後にし、ホームステイ先に向かいました。ヤンとオーセはとても仲がよく、私たちを温かく迎えてくれました。






 ノルウェーの夜はとても長いです。夜の9時頃まで空は明るく、10時頃から暗くなり始めます。なので、夕飯を食べ終えてもお菓子を食べたりしておしゃべりをしていました。私たち学生にとっては、とても英語の勉強になりましたし、ヤンが幼少の頃使っていた離れのトイハウスにはベッドやテレビ、机や様々なコレクションが飾られていて私たちはとても快適に1週間のホームステイをすることができました。


8/12 国際会議スタート

 いよいよ、国際会議が始まります。 朝9時にテレマーク大学に集まって自己紹介をしました。参加国は、ノルウェー、フィンランド、インド、アメリカ、日本の5カ国です。学生が来ているのは日本だけだ
ったので初めはとても緊張しましたが、いくつかのグループに分かれて自己紹介をしたので、参加者との対話にも次第に慣れることができました。各国の教授たちが自分の研究テーマについてプレゼンテーションする、という形式で行われた“Quality in Education”は、とても白熱し
ました。その理由は、それぞれのプレゼンテーションのテーマは違っていてもその根本にある“教育”という大きなテーマが参加者一人一人にとって非常に重要なものだったからだと思います。言語も国籍も違う者たちが一つのテーマについて、英語という共通語を使って討論しました。


 大学ではランチチケットが1週間分配布され、とてもおいしいノルウェー料理を毎日いただきました。パンやタイ米が主食ですが、それに添えるチーズやハムがとても美味しく中でもブラウンチーズという茶色いチーズは日本では食べたことのない香ばしい味のするとても珍しいチーズでした。この日の夜から長谷川さんという名大の院生の方が合流しヤンとオーセの家で楽しく夜を過ごしました。

8/13 幼稚園、工業高校訪問

 この日はプレゼンテーションはなく、国際会議のメンバーで幼稚園と工業高校を訪問しました。幼稚園ではパンケーキをごちそうになり、工業高校ではお茶とケーキをいただきました。こちらの人は訪問時に必ずお茶やお菓子を用意してくださり、とても温かく歓迎してくださるので、とてもうれしかったです。幼稚園ではコマや竹トンボなどの日本の伝統的な遊び道具を子どもたちに紹介したりして一緒に遊ぶことができました。工業高校ではたくさんの機械が置かれた部屋を見学し、学校の制度についてスライドを見ました。見学後は少しショッピングをして、夕方からファーマーの家に行きノルウェーの伝統料理をごちそうになりました。


ノルウェーではトナカイの肉のミートボールに甘酸っぱいジャムをつけて食べる風習があるそうです。それにジャガイモやキャベツのスープを添えていただきました。とても美味しかったです。

8/14 プレゼンテーション


 この日は1日中プレゼンが行われました。インド人のサンジェーブ、横山教授や加藤さん、長谷川さんがプレゼンをしてそれに関する議論が繰り広げられました。夜にはホームステイ先でお寿司パーティをしました。魚介類はノルウェーのスーパーでとても美味しいものが手に入るので、サーモンやアンコウを買ってきて、日本から持ってきたのりや醤油をつけてたべました。ヤンとオーセは2人ともとても喜んでくれて食べ終わるとギターを弾いて歌を歌ってくれました。



8/15 教会訪問、登山前日

 早朝からテレマーク大学に集合し、ヤンのバスに乗って古い木造教会に訪れました。そこでは牧師さんが歌を歌ってくださり、伝統的なノルウェーの高床式のお家を見学しました。その後山奥までバスで移動して、コテージに辿り着きました。翌日の登山に向けて一泊して早朝から山登りをすることになっています。その山はノルウェーが第一次世界大戦時にドイツに抵抗した時に拠点となった山であり、とても歴史上有名な山でした。“ノルウェーの富士山”に登るという大きな計画を前に、みんなでコテージの食堂でディナーをいただきました。デザートの手作りプリンはとても美味しかったです。


8/16 ハイキング


 私にとってこの旅一番の忘れられない思い出となった登山。本当に道が険しく、天候も悪かったので雨の中必死で先頭についていきました。初めは山の歴史についての詳しい説明を聞きながら歩き、途中からは本格的な登山でした。第一次世界大戦時、ノルウェーの研究者たちはHeavy water (重水)を開発し、その威力でがん細胞の拡大を抑制する、という研究を進めていたが、ドイツ政府がそれに目をつけHeavy water の威力を核に利用しようとしました。ノルウェーは必死で抵抗し続けたがドイツは大砲を打ち攻撃し続けました。その大砲が打たれた跡が山にはいくつもあったのです。私たちは登山をしながら、第一次世界大戦という戦争とノルウェーの歴史を学
び、自分の足でその道を歩くことで戦争について深く考える時間をもちました。



 山頂にある博物館を目指して黙々と登り続け、何度かくじけそうになったけれどその度にビヨンや仲間たちに助けられてついに登りきることができました。途中で雨が降ったせいか、山頂からは大きな虹が見えたのです。ビヨンは登りきった私たちに賞状をプレゼントしてくれました。すばらしい達成感を感じました。私自信、人生初の登山だったので、とても良い経験になったと思います。博物館を見て回った後にヤンのバスに乗って家に帰りました。家に着いて仮眠を取りヤンがエビを解凍してくれたので、みんなでエビのサンドイッチを作って食べました。


8/17 セレモニー&市長さんとの会食




 午前中はプレゼンの締めくくりをしてテレマーク大学の近くの小学校を訪問しました。そこで授業を見学し、私は日系移民の少女と一緒にパソコンの授業を受けました。小学校低学年の頃からパソコンを自分一人で使いこなせるよう訓練されていることに驚きました。お昼に私と滝口さんは浴衣に着替え、テレマーク大学のセレモニーに出席にました。生徒と教師が体育館に集まり、バンドやトークショーなどが披露されました。最後に私たちも紹介され、舞台の上で花をもらいました。



 浴衣を着たままノートンの市長さんのもとへ行きました。彼女は伝統衣装を着て迎えてくださり、とても気品のある方でした。ノートンの水力発電の仕組みについて説明を受けた後、特別な客人しか入ることのできない素敵な建物に招待され音楽をきき、豪華なディナーをいただきました。


8/18 オスロ観光 お別れ

 ヤンとオーセの家とお別れをし、テレマークを出てオスロに到着しました
。ウ゛ィ―ゲラン公園という大きな公園を散策し、お昼はベンチに座ってピクニックをしました。ヤン、オーセ、マリット、アーネと私たちでのんびりとオスロを観光し、夕食にノルウェーの伝統料理を食べられるレストランに連れて行ってもらいました。
 オスロ駅でお別れをする時は、それまでの1週間を思い出して自然と涙がこぼれました。親切にしてくださったみんなの温かみが本当に心にしみて、ヤンやアーネが抱きしめてくれた時にはもう号泣でした。私たちの旅はまだ続きますが、ここで一つの別れを経験しました。それから3時間ほどして、オスロ駅から夜行列車に乗ってベルゲンに向かいました。

8/19 ベルゲン観光→ボス
 

 早朝にベルゲンに着き、カフェで朝食を済ませてからホテルを探したのですが、偶然にもその日ベルゲンでコンサートが開かれるということでどこのホテルも満室状態、というハプニングに見舞われました。仕方ないのでその日一日観光してから夕方ボスに移動してそこのユースホステルに泊まることにしました。ベルゲンには魚市場があったので、新鮮なサーモンや蟹を食べ、有名な作曲家グリークの家にも行きました。ショッピングセンターも見て回り、一日かけてベルゲンを満喫しました。

 そこから電車でボスに行ったのですが、そこはベルゲンでの賑やかさは全くなくとても静かな町でした。湖の前のきれいなホテルは、それまでに泊まったユースホステルの中で一番広い上にトイレとシャワーが部屋の中にあったので私たちは大喜びでした。夜は共同キッチンを利用して、ベルゲンで買ってきたサーモンやいくらとクラッカーを食べたりタイ米でおにぎりを作ったのですが、そこでたまたまノルウェー人のスンナという女性に出会い、一緒に食事をしました。偶然にも彼女は高校生の頃日本に留学していたらしく、日本語も大体話せるようでした。私たちは、食事が終わった後も、ロビーに移動して話していました。すると、日本人の青年2人がロビーにいて、そこでもまた盛り上がりました。その上、記念に写真を撮ろうとしたら、イギリス人男性が「僕が撮りましょうか?」と声をかけてくれたのです。本当に不思議な夜でした。私たちはそのイギリス人男性マシューとも仲良くなり翌日のフィヨルドツアーのルートも同じということがわかったのでまた明日、と言って部屋に戻りました。



8/20 フィヨルドツアー

 待ちにまったフィヨルドツアー当日の天気はとても良く、ホテルの朝食を湖の前のきれいな空の下で食べながらランチ用サンドイッチも作りました。ツアーのバスは初めはトラブルもあり戸惑いましたがなんとか乗ることができ、途中でフェリーに乗り換えました。フィヨルドの中をフェリーで通り抜けている時は、本当に壮大な自然に圧倒されました。マシューとその友人のアレックスともおしゃべりをしながらフロムまで快適な船旅でした。





 フロムで少し買い物をして、フロム鉄道に乗りました。列車に乗りながら風景を楽しみ、途中、滝の前で乗客を降ろしてくれるというサービスもあるツアーでした。楽しいツアーも終わり、オスロに向かう列車に乗り換えました。夜の10時頃オスロ駅に到着し、ビヨーンと再会した後、再び夜行列車に乗って眠りました。


【 執筆 : 学部2年生 】



《 後半の記録:8月21日~8月30日 》


8/21
 朝7:40ごろTrondheim到着。
 サーメ人のある女性が"サーメに権利を"と立ち上がった教会の外観を見学し、ニダロス大聖堂に向かいました。ニダロス大聖堂は、ノルウェー王であったオーラヴ王の墓跡に建造された教会であり、そのたたずまいからかつて"北欧一素晴らしい荘厳な大聖堂"とも呼ばれていたほどであったと言われています。(パンフレットより。)





 まず、その外観もすばらしいのですが内装もすばらしく、厳かな雰囲気でかつ華やかさも備えている、とても美しいものでした。ステンドグラスがとくに印象に残っています。聖書にでてくる『放蕩息子』などのステンドグラスもありました。大聖堂の屋上にあがるツアーに参加することができ、そこからはトロンハイムの街が一望できました。
 夕方になり、オスロから同行してくれたBjornと別れましたが、その後も街を楽しめました。
夜7:00、再び大聖堂に行き、ちょっとした歌を聴いたのですが、心が洗われる、なんとも神聖な気持ちになりました。そうして、Mo i Ranaに向かうため再び夜行列車に乗ったのです。


8/22
 朝6:00ごろMo i Ranaに到着。
 駅までBjornの息子さんであるEivindが迎えに来てくれており、そこから彼の家へむかいました。馬がいて、隣の家までも車で移動するような、本当にのどかなところでした。
 ここの地域で今建設中の学校を見学に行ったのですが、鉄筋造りがおおく、どことなく冷たい感じがする日本の学校に比べ、この学校は木造で、地域住民のためのミーティング室も設けられていて、温かな学校でした。また保育園も併設されていました。
 そのあとに行ったスーパーの近くでダンスパーティーのようなものが開かれており、飛び入り参加。快く受け入れてくれ一緒に楽しみました。こういうところにもノルウェー人の温かい人柄がでているな、と実感しました。
 Eivindは私たちを、自分の隣人宅に連れて行ってくれました。日本だとここまで密な近所づきあいは珍しいのですが、ここではみんなが助け合って暮らしているようです。

8/23
 隣人のお宅にお邪魔してそこで飼われている馬に乗せてもらいました。目の高さがうんと高くなり見える景色がとてもきれいでした。乗馬の後は、牛の乳しぼり体験。しぼりたての牛乳はとても甘く、口当たりもまろやかでおいしかったです。
 そのあとまた別のお隣さんのお宅に、手作りのサウナがあるということでそこにはいらせてもらい、そこのお宅でディナーをごちそうになりました。ここにきて地域の強い結びつきを本当に実感することができます。

8/24

 Eivindの家を出る日。
 パッキングをして、"景色のきれいな場所"に連れて行ってもらいました。きれいな湖、雄大な山、素晴らしい眺め、すべてに感動しました。氷河も見ることができました。

 その後は、Bjerkaにあるサーメクラフトのギャラリーへ連れて行ってもらい見学しました。そして、キャンプ場に送ってもらいここでEivindとお別れをしました。この日は、キャンプ場のコテージ泊。星いっぱいの夜空に圧倒されました。ノルウェーの夜空は本当に星がいっぱいです。



8/25
 列車でMosjoenへ向かう。
 駅からはタクシーに乗り、Folke hog skoleへむかいました。 ここは、18歳から入れる学校で1年間やりたいことを見つけるためなどに学ぶ場所で、いわゆるモラトリアムです。
 そして歩いて街にでてサーメミュージアムへ。正直サーメについて基礎知識など無いに等しかったのですが、いろいろ学ぶことができました。サーメの伝統衣装はとてもかわいいです。そして、サーメの組紐作りを体験しました。出来上がった組紐はベルトにつけたりします。
 作り終わった後はFolke hog skoleの学生寮にもどりました。学生はこの寮に必ず入らなければならなく、6人1室で(男:女=4:2、2:4)集団生活を行います。食堂で1日4食でますが、共同キッチンもあります。

8/26
 Folke hog skoleの学校説明を受けました。
 ここでは"バンド"、"シアター"、"裏方(シアターの)"、"スポーツ"、"バレーボール"、"アウトドア"の6つのコースがあり、キャンプなどのフィールドワークのような活動が豊富に計画されていて、集団行動を基本としています。
 このような学校は北欧特有なものなのですが、日本にもこのような学校があれば、大学入学後に自分の本当にやりたいことがわからなくなってやめていくような人が少なくなるのではないか、と思いました。実際に教室などを見学させてもらいましたが、生徒の一人ひとりがいきいきとしており本当に今を楽しんでいる、といった印象を受けました。また、それぞれのコースのための本格的な設備も整っていました。

8/27
 佐藤さんと私で再びMo i Ranaへ、先生たちは一足先にOsloへ、長谷川さんは研究のため北へと別行動になりました。
 Mo i Rana駅でEivindの迎えの車に乗りもう一度Eivindの家へ。彼の飼っている馬に乗せてもらえることになって乗馬をしたり隣人と交流したりして、そのあと家の近くの湿地帯のところに行き、火をおこして夕食を食べました。水も川から汲んだり、木の枝にソーセージをさしたりとキャンプのようでした。初めて2人だけで電車に乗って行くということで不安もあったのですが、無事に着け素敵な一日を過ごせてよかったです。

8/28
 Osloに戻る日。
 EivindにMo i Ranaの街まで送ってもらい、列車の時間まで図書館に行きました。日本の図書館とそこまで変わらず、たくさんの本、CD、DVDがありました。
 列車の時間になり、Eivindとお別れをしました。まずはMo I RanaからTrondheimまで。途中、列車の調子が悪いのか何度か停止していていましたが予定通りに到着。次の乗り換えでTrondheimからOsloの予定だったのに、列車のトラブルで夜中の2:00に乗り換えをしてOsloに向かわなくてはならなくなるというハプニングもありましたが、無事に乗り換えることができました。

8/29
 いろいろと大変ではあったのですが無事にOslo到着。
 そこからホテルへ向かい、先生たちと合流しました。ホテルに早めのチェックインができたので長旅の疲れをいやすため休養をとりました。

8/30
 日本へ帰る日。
 朝Oslo空港へ向かい、帰路につきました。


 Norwayでは、本当にたくさんの人との出会いがあり、普通に大学で過ごしていたら経験できないようなことを経験させてもらいました。このことは私にとってものすごくプラスであったし、これからのことを考えるよいきっかけとなりました。この研修に携わってくれた多くの方に、感謝の気持ちでいっぱいです。



【 執筆 : 学部1年生 】